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Vol.10
みんなとつながれる場所
行方不明の娘 捜し続ける

 秋には一面を黄色く染めていたセイタカアワダチソウが、今は枯れ果て、津波で洗い流された福島県大熊町の熊川地区を茶色く覆っている。時折吹く風と、崩れた防波堤に打ち付ける波の音以外は何も聞こえない。その中をひとり、木村紀夫さんがクワを持って歩き続けている。原発事故による放射能汚染で立ち入りが厳しく制限される中、4年以上もの間、津波で行方不明になった娘を捜し出すために――

 

 2011年3月11日、木村さんは父・王太朗(わたろう)さんと妻・深雪(みゆき)さん、そして当時小1の次女・汐凪(ゆうな)ちゃんを津波に奪われた。夜を徹して探したものの、翌朝には原発事故による避難指示が出され、無事だった長女と母を避難させるために岡山にある妻の実家へ車を走らせた。すぐに福島に舞い戻ったが、放射能に汚染された町には入ることが出来ず、県内外の避難所で3人の捜索ビラを配る日々が続いた。6月までに父と妻の遺体が見つかった。そして二人の供養を終えると、福島と岡山両方に通える長野県白馬村の山中で、多くを必要としない生活を目指し、長女の舞雪(まゆ)さんとの暮らしを始めた。

 東京電力福島第一原発がある大熊町では、原発事故以降、人口の96%が居住していた地域が「帰還困難区域」に指定され、許可がなくては立ち入ることすら出来ない。震災後の2年間は3ヶ月に1回しか一時帰宅が許されなかった。現在1年に15回まで可能になったものの、滞在は5時間以内と定められ、捜索を行えるのもこの間だけだ。


 自らは津波に遭わず、震災翌日には町を離れた木村さんにとって、汐凪ちゃんたちが津波にのまれたということすら現実として理解できなかった。制約ばかりの中で一時帰宅しても、「行かなきゃいけない、やめるわけにはいかない」と気持ちだけが焦り、なにもできないまま町を出るしかなかった。

 

 そんな日々を変えたのは、同県南相馬市の上野敬幸さんとの出会いだった。上野さんは津波で家族4人を失ったが、消防団員やボランティアと共に「福興浜団」という団体を立ち上げ、自身の息子と父を含む行方不明者の捜索活動を続けていた。発生直後から捜索にかかわり、津波被害をつぶさに見てきた上野さんからその様子を聞いてはじめて、汐凪ちゃんたちが経験した津波を実感できた。その恐怖や無念を思い、号泣した。

 

 「こんなことで悩ませる世の中がおかしい」、津波で行方不明の娘を捜すこともままならない現状に対する上野さんの言葉に救われ、木村さんは2013年の秋から大熊町で福興浜団と一緒に捜索をするようになった。仲間たちとともに毎月大熊町の自宅に行くのが、次第に楽しみにさえなった。「ここに来ると3人と一緒にいる気がする。精神安定剤みたいな感じかな」。

 

 しかし、そう思えるまでに落ち着いてきた矢先、追い討ちをかけるような新たな事態が覆いかぶさってきた。
原発の汚染廃棄物を置く中間貯蔵施設を建設する意向を国が示し、計画地に自宅も入っていたのだ。「捜索が出来なくなるから土地は売る気も貸す気もない」、住民説明会で木村さんは断言した。ところが、環境省の担当者からは呆れるような言葉が返ってきた。「行方不明の方がいるとは知らなかった」、と。そんなことも知らずに説明会を開いているのか。愕然とした。しかし住民の不安や反対をよそに、建設計画は着々と進められる。今年1月までに県と大熊町、双葉町が建設受け入れを表明すると、環境省は地権者との用地交渉に入った。そして、ほとんどの交渉がまとまっていないにもかかわらず、国は3月、買取が完了した一部の土地に汚染土の搬入を開始した。

 「原発事故がなければ、津波の後に多くの人が入って捜すこともできた。命が助かった人もいたかもしれないし、何日も遺体が野ざらしにされることはなかった。現におやじは自宅のすぐそばで見つかったんだ」。木村さんは中間貯蔵施設に反対しているわけではない。ただ、みなが恩恵を受けているのに、大熊や双葉だけが負担を負うことに強い疑問を感じている。既に多くを奪われた。その上なぜこの場所まで奪われなければならないのか。「正直もう放っておいてほしい」と、胸のうちを明かす。


 その自宅を少しずつきれいにしていきたいと、昨年のクリスマスには福興浜団と一緒に自宅裏の丘にイルミネーションを取り付けた。「これを見られるのはここにいる汐凪たちだけだね」と木村さんは言い微笑みながら空を見あげた。汐凪の「汐」に「笑」の文字と笑顔のマーク。一時帰宅の滞在は午後4時までのため、夜に光るイルミネーションは誰も見ることが出来ない。

 

 津波によって木々が減り、その丘からは浜と海が震災前よりもよく見渡せる。「魚釣り名人になる!」と、小学校にあがるころ汐凪ちゃんは唐突に宣言した。木村さんは1本の竿を買い、汐凪ちゃん、舞雪さんとこの浜で釣りをした。「汐凪」という名前の由来そのままの、晩夏の静かな海がそこにはあった。「この場所は汐凪たちとつながれる唯一の場所なんだ」。3人のために運び入れたお地蔵さんの前に座り、木村さんは静かに話した。

​写真 文/岩波友紀

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