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 4月14日と16日、最高震度7の地震が熊本県で発生した。

 

 地震で崩れた神社の拝殿の横にある大きな池はには水はなく、枯れはてていた。熊本県南阿蘇村。旧白水村内の中松地区にあるこの「塩井社水源」は、昔から住民の生活用水や水田への水として使われてきた水源だ。

 

 「地震があっても白水には水があるから大丈夫、水と米さえあればなんとかなる、と思っていたのに・・」。日頃から地域の安全を守ってきた地元消防団の後藤彰久さんが話した。

 

 熊本は水の都だ。その水が生まれる場所が阿蘇。九州の主な河川の源は全て阿蘇であり、そこでは何箇所も地下から水が湧き出している。

  拝殿や神殿が倒壊した阿蘇市の阿蘇神社。その門前町である仲町通りは「水基巡りの道」と呼ばれ、道端のいたるところで地下水を出している。もともと住民がそれぞれ生活用水として使っているものだが、道行く人に飲んでもらえるようにと整備し、観光のスポットとなった。ここでは、数カ所の水が地震後に出なくなっていた。

 

 人口約74万人の熊本市内の水道は全て地下水で賄われている。政令指定都市としては日本で唯一だ。その地下水もまた阿蘇が源である。

 

 阿蘇山の南に位置する南阿蘇村の旧白水村は「水の生まれる里」と呼ばれ、11の水源がある。ここでは湧き水があることが普通であり、それがなくなるとは思いもしなかったことだ。5月から6月は田植えの時期だが、中松地区で塩井社水源を使っている水田は水がないため作付けをすることができない。「登山道から見下ろすと、一面鏡のような水田が広がる絶景」、と後藤さんが言う景色は、今年は見られない。

 

 「塩井社の水源をなんとかしたい」との思いは住民に強いが、地震から1ヶ月以上たっても手が回らない理由がある。中松地区は地震による被害は比較的大きくはないが、多くの住民が避難生活をしている。地区のすぐ裏にある、阿蘇山に連なる夜峰山が崩落する可能性があるからだ。地震により一部がすでに土砂崩れを起こし、それによりすでに砂防ダムも埋まり今後も大規模な崩落が起こる可能性がある危険な状態が続いている。5月終わりには避難勧告は解除され避難準備となったことで自宅へ戻れる状態にはなったが、自主避難を続ける住民も多い。また、梅雨になれば再びの避難の生活になることをを覚悟している。

 この地方は過去いくどとなく、豪雨による被害を受けてきた。5月10日にも大雨による避難指示が出た。1000人以上が犠牲となり、熊本県で最も被害が大きかった昭和28年西日本水害では、この夜峰山の土砂崩れで中松地区の集落一つが全滅した。2012年の九州北部豪雨でも大きな被害がでた。

 

 話を聞くたびに必ずと言っていいほど住民から聞いたのは、「これから梅雨だけん・・」という言葉。雨への意識はこの地域では強い。「村だけではなんともできない。なんとか国や県の力を借りてから、とりあえずは山ばなんとかせんと今後の生活も見えん」と、後藤さんは話す。水源の調査の前に、いまだ安全な生活が確保できない状態だ。そしてこの状態がいつまで続くのかも見通せない。

 阿蘇は畜産も盛んな地域だが、山々の崩壊はそれも脅かしている。夜峰山山頂から、その北の烏帽子岳方面には牛の放牧場が広がる。特産の「赤牛」は放牧することで上質な牛になり、それもまた放牧に適した広大な阿蘇の山々の恩恵だ。森林ではなく牧草が覆う山々の景色が阿蘇の特徴でもある。しかし烏帽子岳はその山肌が全て茶色になる程崩れて、放牧場の目と鼻の先まで土砂が来ている。放牧場そのものも所々崩れている。畜産と農業をする山戸直さんは、今年の放牧を始めた直後に地震に見舞われた。しかし、放牧したほうが牛にとって格段に良いことから、山から牛を下ろすことができないという。心配そうに山を見上げていた。

 熊本に住む人にとって「雨は厄介者」。しかし同時に、この水をはじめとする阿蘇の自然は、住民たちを生かし続けてきたものにほかならない。

 地震で水道が止まった時は、白水の水源では水を汲みに来る人が行列を作った。阿蘇市の水基巡りの道で飲食店を営む木下菊子さんは、自宅の湧水を熊本市内まで届けたりもしたという。

 水以外の理由で農業をできない場所もたくさんある。春のこの時期、農家たちは亀裂が入った田んぼを直し、家が倒壊しても避難所から畑に通い種を植えていた。塩井社水源に頼っていた水田では、住民たちが山から流れる雨水を水路に引き込み、一部で作付けができるところまでこぎつけた。「作物はこっちの都合を待ってくれんけんね」と、甘藷(サツマイモ)の苗を植えていた西原村の山崎智幸さんはこうも話す。「雨のたんびに避難指示だけど、その雨は作物も育ててくれるけん」。

 阿蘇の水は米を育て、阿蘇の大地は牛を育て、住民の命を育んできた。住民たちはこれからもこの自然と生きて行く。

​写真 文/岩波友紀

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