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 4月25日、ネパール中部を震源とするマグニチュード7.8の大地震が発生。5月15日現在国内死者は8400人を超え、被災者は人口の3割に当たる800万人。約56万戸の建物が全半壊した。12日にはマグニチュード7.3の大きな余震も発生し被害が拡大した。

 首都カトマンズではビルが傾き、ダルバール広場の寺院の多くが崩壊した。同寺院を含むネパールの世界遺産の建築物の9割が全壊もしくは損壊したとも言われている。都市部のバクタプルやサクーでは煉瓦と木で作られた古い家並みが崩れ落ち、廃墟と化した街が土埃に覆われていた。火葬場には多くの犠牲者が運ばれ立ち上る煙の数が犠牲者の多さを物語っていた。騒ぎが落ち着くまで、カトマンズを離れようと、地方へ向かう長距離バス乗り場には市民が殺到し、インド政府などは市内に住む同国民の避難のために数十台のバスを用意した。

 自宅が壊れたり、余震を恐れたりした住民たちは路上や公園、空き地などに避難しテントを作り生活を始めた。カトマンズ中心部の広い公園に並ぶテントに生活する人たちに話を聞くと、ほとんどが地方から出稼ぎに出てきた家族たちだった。古く安いアパートを借りて暮らしているため、建物も脆かったようだ。カトマンズから東方のドラカ郡から出稼ぎに来ているブルガ・バハドゥール・ネパリさん(45)は8人家族。布を作る仕事をし、息子もここで警備の仕事をしている。発生当時は倒壊したビムセンタワーの下にいたが、難を逃れてこの公園に逃げてきたという。自宅アパートは崩れ、そのままここで避難生活をしている。「故郷の情報が全然入ってこない。自分の家がどうなったかもまだわからないんだ」と話す。車もお金もないため帰ることも出来ないという。

 エベレスト登山ベースキャンプ付近では雪崩が複数発生し、登山客にも死者が出た。

 被害の大きい山岳地方では点在する集落がまるごと消滅していた。山奥の村にはもともと車の入れない道しかなく、支援物資も全く届いていないどころか、被害状況もいまだに把握できていないところも多い。

写真 文/岩波友紀

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