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シリーズ福島

2011年3月東日本大震災発生後、東京電力福島第一原発で核燃料の炉心溶融という重大な災害が起きました。国際原子力自己評価尺度でレベル7という最も深刻な事態となったこの災害で、大量の放射性物質が放出し、主に福島県の人たちを苦しめてきました。周辺自治体では立ち入り制限が続き、事故を起こした原発の廃炉作業もいまだ道筋は見えていません。
時とともに風化で忘れ去られていく中でも、福島の困難は今後何年も続きます。原発事故と関連した福島の題材を一連のシリーズとし、今後も伝え続けていきます。
>>2011年
3月11日 東日本大震災発生。東京電力福島第一原発に津波襲来
3月12日 1号機原子炉建屋で水素爆発。避難指示を20キロ圏に拡大
3月14日 3号機原子炉建屋で水素爆発
3月15日 4号機原子炉建屋で水素爆発。20〜30キロ圏に屋内退避指示
4月22日 政府が20キロ圏内を警戒区域に設定し、原則立ち入り禁止に。圏外でも放射線量が高い地域を計画的避難区域に設定。
12月16日 政府・東電が冷温停止状態を発表し、事故収束を宣言
>>2012年
4月1日 警戒区域の再編が川内村と田村市で始まる。この後避難区域に設定されていた11市町村で順次、「帰還困難区域」、「居住制限区域」、「避難指示解除準備区域」に再編されていく
>>2013年
8月8日 川俣町の避難区域が再編され、11市町村に設定されていた警戒区域、計画的避難区域の再編が完了
>>2014年
8月30日 原発事故で出た汚染土などを最長30年間保管する中間貯蔵施設を大熊・双葉両町に建設する政府の計画について、福島県の佐藤雄平知事が受け入れを表明
2014年10月時点で、いまだに約8万人が原発事故により避難生活を強いられている
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